医薬分業

病気を診てくれるお医者さんと、お薬を作る薬やさん。 日本では医師は自分でお薬を作ってもいい事になっています。 でも世界中の殆どの先進国では医師と薬剤師は分業体制になっています。 一体どうしてなんでしょう。 それは自分自身の命と健康を他人に委ねる事が難しかった700年以上前の時代までさかのぼります。

王位継承者の不安が作り出した医薬分業

医薬分業01

医と薬を分ける考え方は、遠くヨーロッパの王様がはじめました。 そのころの王侯貴族の間では、暗殺による王権の交代が頻繁に起こっていました。 身内と言えども信用できない。 そんな世の中だったんですね。 その中でも毒殺という方法は、一部の毒を除いて見つけ様がなかった時代です。

1240年、今から760年ほど前。 時の王様、フリードリヒU世はちょっと臆病な人でした。 王様は「今日は殺されずに済んだ。 いや、寝ている間だって危ないぞ。 食事にだって毒が入ってるかも」と毎日びくびく。 その内「病気になったらお医者さんに診てもらうけど、医者だって危ないぞ。 風邪薬だって言いながら毒を飲ませる事ができるからな。」とお医者さんまで信用できなくなりました。

医薬分業02

ところでこの王様は人から色んな国の色んな話を聞くのが大好き。 その頃は、流浪の民といって、いろんな国を渡り歩く行商や芸術家が沢山いましたから、いつでも彼らをお城に招いて一緒に食事などしながら色んな話を聞きました。

そんなある日、王様は思い切って流浪の民に聞きました。

「私のような立場のものはいつ殺されるかわからない。 まあ暴漢は警護の者が防いでくれるし、ヒ素の毒が食事に入っても銀の食器が教えてくれる。 毒見役もいるから大丈夫だ。 然し私が病気になったとき、医者が毒を盛っても確かめ様がない。 困ったものだ。」

「あれ?王様。 異国では医者が薬の処方をだして薬屋が作るという仕組みになっていますが、王様の国ではそうなっていないのですか?」

「なんと、薬は薬屋が作るとな!」

「左様です。 ですから若し医者がおかしな薬の処方を出したり、ましてや毒など盛ろうものなら、薬屋がおおそれながらと申し上げる事になります。」

医薬分業03

「然し、医者と薬屋が手を結べば訳なく毒を盛ることもできようぞ。」

「ははは、ご心配には及びません。 お医者の処方を作らせる薬屋は誰を選んでもいい事になっております。 お医者も王様も薬屋を決める必要はないのでございます。 若し王様を毒殺したいと思うなら、お医者と町中の薬屋を買収しなくちゃなりませんや。 これは無理と言うもので御座います。」

「うーん、なるほど!それはいい事を聞いた。 早速お触れを出そうぞ。 その方でかしたぞ。」

こうしてフリードリヒU世は診療と調剤を別々に行い、双方に責任を持たせる「医薬分業」というものを確立しました。 これがヨーロッパやアメリカなどでは当たり前の仕組みとして受け継がれてきたのです。

医薬分業04

さて日本ではどうだったでしょうか。

明治の維新を果たした日本は、鎖国によって遅れを取った文化を何とか他国に追いつこうと考えていました。 その中で明治22年に「薬律」という「原則医薬分業」を謳った法律が出来ました。 そこには「本来は医師と薬剤師が診療と調剤の責任を持つ事とするが、今は薬剤師の数も足りないので、医師が自分で調剤する場合に限って分業しなくて良い」という事がかかれていました。

そしてこの「薬律」は、本来の姿に戻す為に明治30年代に見直す事になっていたのです。 然しこの法律を見直す時期になって、「医師自ら調剤する場合に限って」という文章が外れないまま正文となってしまいました。 その後世紀を跨いだ現在でもこの法文は変えられていませんが、日本の国の経済的な理由から「医薬分業」が本格的に動いたら医薬の無駄がなくなるのではないかという見方によって急激に分業が進みました。

実は保険の仕組みの違いもありますが、欧米では薬剤師が処方箋のチェックをして、場合によっては同じ成分でも価格の安いものへ変更するとか、無駄と思われる薬は医師に連絡して中止してもらうなどの地位を持っています。 アメリカでは州によってインフルエンザの予防注射を薬局で受ける事もできますし、経口避妊薬は処方箋なしで薬剤師の指導によって購入する事もできます。 アメリカでは最も信頼される職業は弁護士や牧師などを抜いて薬剤師がランキング上位を占めています。

日本の医薬分業は随分進展しましたが、それでも欧米の歴史から見ると赤ちゃんの様なものです。 私たち薬剤師は早く一人前になる為に、国民の皆さんの一番身近な医療の窓口として頑張っていきたいと思っています。